読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

虫に鳥にも

読んだもの、見聞きしたものの記録に。

井田良・太田達也編『いま死刑制度を考える』 その2 修復と応報

死刑(読書記録) 法(読書記録)

 

(3)修復的正義――第2章:高橋則夫

 

 第2章は、被害者(遺族)の応報感情と刑事司法についての論稿です。*1

 まずは、前提として、①被害者遺族が死刑を望むのは当然の感情であること、②法は応報感情のみで行使されるわけではないこと、この2点を押さえたうえで、著者は次のように問題点を指摘します。

 

 ……むしろ、被害者感情を表明する公共の場として刑事司法とメディアしかないということが問題なのである。

 さらに、問題は、被害者感情=応報=死刑存置という等号が絶対なものかどうかにある。被害者感情が応報と結びつくのは、犯罪以前の状態への回復が困難であることからの反射的効果であるということも考えられる。すなわち、応報感情の充足の前に、回復感情の充足という課題に取り組むべきであり、その点にこそ被害者保護の実質的課題がある……。(35頁)

 

 被害者支援の不十分性が、被害者感情死刑存置に向かう要因なのではないか、という指摘です。

 「犯罪以前の状態への回復が困難」というのは、ざっくりいえば、死んだ人間は生き返らない、ということになるでしょう。だからこそ、取り返しのつかないことをしたのだから死ぬべきだという考えに至るのは、べつに特異なことではありません。

 しかし、一方で、いくら犯人が死刑になったところで死んだ人間は生き返らないのだから、それよりも被害者を支えるコミュニティを構成するべきだ、という指摘も、実にもっともな話です。

 

 とはいえ、これは死刑制度があろうがなかろうが取り組むべき課題であるように思います。いわば司法制度の「外」の話です。ただ、司法制度の「外」で構築された被害者支援の充実によって、「被害者感情=応報=死刑存置」という等号に変化を与える可能性はあるはずです。

 

(4)法的正当化根拠――第3章:椎橋隆幸

 

■アプローチ

 本章の著者は、死刑の法的な正当性を主張する立場です。

まず、議論の前提として、死刑制度を抽象的に論じるだけでなく、どのような人権状況や刑事司法制度のなかで、どのような死刑制度をもつべきかを論じなければならない、としています。

 死刑廃止は国際的な流れだといわれますが、それぞれの国の状況や司法を一つひとつ検討せずに、それだけを死刑廃止の論拠に置くのは、たしかにナンセンスだといえます。

 

 死刑は刑事司法の運用全体の中で、また、国民の基本権・自由と安全・安心な社会の継続・発展の中で適切に位置付けられなければならない。(44頁)

 

■法的正当化根拠

 死刑の是非をめぐっては、いくつかの論点があります。その中で、①誤判の危険性、②社会的弱者への差別、③政治的弾圧のための利用については、以下のように指摘しています。

 

 これらの問題を解決するためには刑事司法制度の在り方と運用を改革するのが正しい対処の仕方である。(49頁)

 

 さらに、死刑に対する批判としては、④生きる権利を侵害する残虐で非人道的な刑罰である、との主張がありますが、これに対しては、たとえば他人の財産権を侵害すれば自分の財産権が奪われるように、犯罪の種類や程度に見合った刑罰が科せられることになっているのに、なぜ「生きる権利」だけは何をしても奪われることはないのか、と反論しています(50頁)。*2

 殺人犯の生きる権利を保障すれば、記憶に新しい相模原の事件*3のように大量殺人が実行され、冤罪の可能性がない場合にも、(殺人犯の精神障害の有無はさておいて)死刑を科すという選択肢がなくなり、「犯罪と刑罰のスケールが不均衡」(53頁)となってしまいます。

 

 人間の尊厳の最も中核にある生命を奪われた場合、その価値の再確認・原状回復は損害賠償や自由剥奪等の制裁によって補填できるような価値ではない。……絶対に許されないことをした場合には自分の死によってしか(でも)その罪は償われないのだ……という規範を形成し、その規範を内面化するために死刑制度が存在する意義がある……。(51~52頁)

 

■誤判の問題

 本章では、誤判の可能性を死刑廃止の理由とする主張に対しては、誤判と死刑の問題は別次元のものであると述べられています。

 誤判は死刑にかぎらず、すべての刑事裁判に可能性があり、また、すべての刑事裁判においてあってはならないことです。誤判の可能性かあるからといって、すべての刑罰を廃止すべき、という議論は起こりません。ゆえに、誤判の可能性があるから死刑を廃止すべき、というのではなく、刑事裁判において誤判の可能性を避ける慎重な手続的方策が用意されなければならない、と主張しています(55頁)。

 

 付言すると、誤判の可能性を死刑廃止の理由とする見解では、例えば現行犯で犯人が明らかで、本人も事実を認めているような、およそ誤判の可能性が考えられない事案の場合……でも死刑廃止を主張し続けるのは不思議としか思えない。(55~56頁)

 

 本章において、ひとつ気になったのが上に引用した部分です。

 制度の中には「誤判の可能性」も「およそ誤判の可能性が考えられない事案」も含まれます。後者を見分けることはできても、前者を見分けることができない。ここが問題なのです。

 つまり、誤判の可能性を死刑廃止の理由とする見解では、「間違いなく殺人犯である人物に死刑を科して被害者感情や社会の安全に資す」ことよりも、「無罪の人物に死刑を科して命を奪うことを避ける」ほうを重視していると考えられます。

 むしろ、「人間の尊厳の最も中核にある生命」を重視するがゆえに死刑存置の立場で論じながら、死刑の誤判の可能性を他の刑罰の可能性と並べるのは、矛盾するのではないでしょうか。

 

⇒その3に続きます。

*1:本書では序章のあとに2章がくる。序章を1章とみなすスタイルである。

*2:著者は、罪刑の均衡を主張する立場から、功利主義的な廃止論を批判している。「刑罰は犯人にとって、また、社会にとって効用があるか否かを中心に考えるものではない。この功利主義的な考え方は、被害者の失われた生命の尊厳を再び侵害するものであり、遺族の感情を逆撫でするものである」(58頁・注13)。

*3:相模原の殺傷事件に関するトピックス:朝日新聞デジタル