読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

虫に鳥にも

読んだもの、見聞きしたものの記録に。

飯田高『法と社会科学をつなぐ』 その3 「社会」と「世間」

 

(4)「社会」と「世間」

 

 今回はちょっとタイムリーなテーマかもしれません。

 

■社会的な苦痛

 世の中には人間嫌いという人がいます。私ももう少し若い頃には、自分は人間嫌いなのだと思っていましたが、正確にいうと、社会的なやりとりが嫌いなのだと思います。さらに踏み込むならば、社会的なやりとりに怯えている、といってもいいと思います。社会から否定されたり、評価を下げたりすることに尻込みしているのです。それは、逆の捉え方をすれば、社会に受け容れられ、評価されることを重視している、ということにほかなりません。

 

 他の人々に受け容れてもらえないという認識、言い換えると「社会からの受容の喪失」の認識は、身体的な損害にも匹敵する苦痛を個人にもたらす。(268頁)

 

 結局、現在の私はあまり人と会ったり話したりする必要のない職種に就き、ほとんどストレスのない毎日を送っていますが、今よりも多くの評価を得たり、キャリアを積もうとするならば、新たな社会を構築しなければなりません。それは恐れや面倒な気持ちを抱かせると同時に、今までにない喜びを期待させるものでもあります。社会的な苦痛があるならば、社会的な喜びもまた存在するのです。

 

■社  会

 ところで、「社会」という言葉は非常にぼんやりとした概念のように思えます。私たちの世界には、大きな社会、小さな社会が数多くあります。「社会」という言葉で思い浮かぶイメージは人それぞれです。

 

社 会 society

 多義的な概念であって、抽象的には人間結合ないし生活の共同一般を、具体的にはさまざまな集団生活や包括的な全体社会(国民社会)を、理念的には国家と対立し人類大の広がりをもつ市民社会を、歴史的には一定の発展段階にある社会体制ないしは社会構成体を意味する

  ――『社会学小辞典〔新版増補版〕』(有斐閣、2005)245頁

 

 ここでいう「社会 society」とは、学問上の概念です。しかし、私たちは、日常的には、もっと狭い範囲の「世の中」のことを指して「社会」と呼んだりもします。

 本書では、私たちが「社会」という言葉を使うときの二通りの意味について、以下のようにまとめています。

 

 ……一つは、おそらく人類がこの世に登場して以来つねにあったであろう「社会」、すなわち共同の生活を営んでいるという意味での「社会」……もう一つは、日常の生活の範囲を飛び越えた「社会」であり、ときとして個人と対置される抽象的な概念である。(271頁)

 

■世  間

 ……他者と関わり合う世界を表現する言葉として、日本で伝統的に使われてきたのは「世間」であった。(272頁)

 舶来の「社会」と日本の「世間」の最も著しい相違点は、「社会」は自己から切り離されて対象化されたものであるのに対し、「世間」は個人から明確に分離しておらず、対象化しえないものだということであろう。……日本では、人々が「世間」として意識しているものに「社会」の語が充てられてきた。(273頁)*強調は引用者

 

 不思議なことに、「世間」という語感には湿度があります。学校に行きたくないなとか、街中で知ってる人に会いたくないなとか思うときに胸を支配する、あのジメッとした感じに似たものです。ああいう肌にまとわりつくイメージ、それが、「個人から明確に分離しておらず、対象化しえない」ということなのかもしれません。

 

 さて、今回は冒頭で「タイムリーなテーマかも」ということを述べました。次に引用する「世間」についての説明には、日本の時世がよくあらわれています。

 

 例えば、不祥事が発覚した後の謝罪会見やコメント、さらにそれに対する人々の反応に「世間」の威力がよく表れる。まず、謝罪している側は「社会」ではなく(ましてや「被害者」ではなく)「世間」に向けられた一種の儀式を行っていると言えるが、具体的に誰に向けられているのかはわかりにくい。

 謝罪を聞いたり見たりした人々の側も、際限のない償いを要求しがちである。(273頁)*強調は引用者

 

 近年は謝罪会見ラッシュとでもいうべき多さで著名人の謝罪会見が相次いでいます。近いところでは、高畑祐太容疑者の逮捕を受けて、母親である女優の高畑淳子さんが会見をひらきました。そもそも成人男性の母親がそうまでする必要があるのかという議論をはじめ、会見の際の言い回しや服装にまで「世間」のチェックが入るなど、事件そのものと並んで会見自体も大きな話題となっています。

 

 「社会」は飛び込んでいかない限り「私」のことを見ないけれど、「世間」はいつも「私」を見ている。私が怯えているのは「社会」ではなく、もしかしたら「世間」なのかもしれません。

 

(5)おわりに

 

 私が取り上げたのは、本書の中でも特に自分の関心が強い社会心理学的な部分です。

 本書全体をとおしてみると、経済学の考え方を取り上げた部分も多く、しかも分かりやすい例示がありますから、経済学が苦手な私でも楽しく読むことができました。

 こうした思考を、実践として法制度に結びつけるのはまだまだ難しいかもしれません。でも、考え方としては合理的かつ、柔軟でもあります。各項目の参考文献も豊富に示されていますから、野心的な人は、本書を端緒にして自分の思考を深めていくこともできるのではないでしょうか。

 

 

(了)