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虫に鳥にも

読んだもの、見聞きしたものの記録に。

飯田高『法と社会科学をつなぐ』 その2 「われわれ」意識

法(読書記録) 社会学(読書記録)

 

(3)「われわれ」意識

 

■社会的動物

 前回、人間は社会的な動物である、という表現を使いました。有名な言い回しですね。

 

社会的動物 social animal, political animal

 アリストテレスが社会的=ポリス的存在として人間を規定したことば。この種の規定としては最古のものの一つ。彼は『政治学』のなかで、人間を自然に国(二つ以上の村から成る完成した共同体)を形成する動物と見、このように呼んだ。――『社会学小辞典〔新版増補版〕』(有斐閣、2005)266頁

 

 私たちはこうした概念を中学校の社会の授業などで学びますが、そのときにはピンと来なかった言葉も、大人になり、「個」である自分と「集団」の一員である自分を認識するようになると、「社会的」という意味がおのずと理解されてきます。

 

■「われわれ」意識

 個である自分と集団の一員である自分のバランスは難しく、人々がもつ大きな悩みのひとつですが、集団に属する利益や安心感があることも事実です。そして私たちは、基本的には利己的な行動を優先させますが、ときには自分を犠牲にして集団の利益を追求することもあります。また、そうした行動を他者に求めることすらあるのです。

 

 私たちは、単なる他者理解を超えて、特定の誰かの視点とは異なる「第三者の視点」や「共同の視点」と言うべきものを主観的に構成している。つまり、人間は自分自身とも他者とも違った「われわれ」という視点を獲得し、その視点から自己および他者の視点と利害を考慮する。……

 この「われわれ」がいかなる範囲の人々を含むのかは気をつけておくべき問題である。人々の集まりをカテゴリー化する場合、「自分が所属している集団」と「自分が所属していない他の集団」とがありうる。前者を内集団(in-group、後者を外集団(out-groupと言う。(254頁)

 

 「われわれ」意識は集団内での協力行動を促進する。その一方で、集団間の対立を生む要因ともなる。ことに負の互酬性が個人間だけでなく集団間で発生すると、悲惨な結果をもたらしうる。集団間の負の互酬性の例としては、敵討ち、血讐、戦争などが挙げられよう。これは協力行動を支えるメカニズムのダークサイドである。

 それに加えて、過剰な「われわれ」意識に支配されている集団では、所属メンバーが内集団を過大評価する傾向、あるいは集団の内部で同調圧力が強まる傾向が出てくる。そうなると外集団を蔑視・軽視したり、単純嗜好に陥ったりしやすくなる。行きすぎた「われわれ」意識は合理的な意思決定を阻害してしまう。(255~256頁)

 

 「われわれ」は「われわれ」のために協力して、よりよい利益を生み出し、それを「われわれ」に還元して、よりよい社会にすることを目指す――そういう集団だといえますが、過剰な「われわれ」意識は、集団内における「個」を抑圧したり、集団間の争いへと発展したりする危険性をはらみます。ここでは、「われわれ」意識による「協力行動」の二面性が述べられているのです。

 法というのは基本的には個人に機能するものですが、社会システムとしては、この「われわれ」意識がちょうどよく作用するように促進したり、抑制したりするものなのかもしれません。

 そして、私たち自身も、過剰な「われわれ」意識がどういうものか――所属メンバーが内集団を過大評価する傾向、あるいは集団の内部で同調圧力が強まる傾向が出てくる。そうなると外集団を蔑視・軽視したり、単純嗜好に陥ったりしやすくなる――ということを、重々承知しておく必要があるように思います。なにげない日々のテレビ番組やインターネットでの言論が、少し違ったように見えてくるような理論ではないでしょうか。

 

■想像の共同体

 ところで、私が本書における「われわれ」意識という項目を読んだとき、頭に浮かんだのは「想像の共同体 imagined communities」という言葉でした。これはベネディクト・アンダーソンの理論で、細かいことは忘れてしまったのですが、大学の講義で以下のような説明があったことは、印象深く覚えています。

 私たちは当然のように「日本人」というわれわれ意識を持っているが、1億人以上もいる国民すべてと会ったことも見たこともないのに、その1億人あまりの集団を当然のように一つの共同体として認識している。

 こんな感じの説明です。当たり前といえば当たり前なのですが、改めて言われてみると、なるほど、想像の共同体だ、という感じがします。日本は島国ですが、他の国々のことも考えると、ナショナリズムを形成する「イメージ」の影響力は、私たちの認識を凌駕するものがあるように思います。

 こう考えると、インターネットの登場と発展が世界をつないだり広げたりする一方、共同体のイメージを強めていくのも、矛盾したことではないのかもしれません。

 

 

 ⇒その3に続きます。