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虫に鳥にも

読んだもの、見聞きしたものの記録に。

シェイクスピア作・木下順二訳『マクベス』 フェアとファウル

マクベス (岩波文庫)

シェイクスピア作/木下順二訳『マクベス』(岩波書店、1997年)

11世紀スコットランドの勇敢な武将マクベスは、魔女の暗示にかかり王ダンカンを殺し、悪夢の世界へ引きずり込まれてゆく。シェイクスピア(1564‐1616)は、1600年に36歳で『ハムレット』書いた後、40歳で『オセロー』、41歳で『リア王』、42歳で『マクベス』と、立て続けに四大悲劇を描いた。作者最盛期の作品である。〔表紙より引用〕

 

木下順二訳『マクベス

 大学生の頃、姉に薦められて本棚に置いた本の一つ、それがこの岩波文庫版『マクベス』です。姉としては木下順二訳が良いらしい。

 この岩波文庫版は、木下順二『私とマクベス講談社、1993年)を底本にしたもので、訳者が1991年の公開講座で講演した内容に手を加えたもの(「『マクベス』を読む」)も本編に付してあります。この、いわばオマケである「『マクベス』を読む」が、思いのほか面白かった。およそ50頁にまとめられた、一般向けの、踏み込みすぎない程度の解説なのですが、あまり翻訳書を読まない私にはちょうど良かったようです。

 シェイクスピアが散りばめた言葉のテクニックを読み解こうと挑戦することは、あたかもミステリー小説で叙述トリックを見破ろうとするがごとく、言葉の探偵にでもなったかのような面白さがあります。他言語を自国の言語に訳するということは、とりも直さず他国の文化を自国の文化に組み替えるということ。それが古典的な文学作品ともなれば、レトリックを変換する作業はなおさら骨の折れることだろうと思います。原文や辞書や、他の訳書などを右なり左なりに置いて、うんうん唸った末に、「これぞ」という訳がぴったり当てはまったときの快感は、いかばかりでしょう。

 レトリック、つまりシェイクスピアが脚本のなかに潜ませた言葉の仕掛けとして、ここでは『マクベス』で最も有名な台詞――“Fair is foul, and foul is fair.” を取り上げます。

 

▶フェアはファウルで、ファウルはフェア

 物語の最初の場面、雷鳴と稲妻のなか3人の魔女が現れて会話を交わし、その場面の最後に“Fair is foul, and foul is fair.” と声を揃えます。いまから始まる物語がどのような本質をもつのか、それを潜在的に観客に知らせるような台詞です。

 ……人間の世界でフェアなものは、魔女の世界ではファウルである。魔女の世界でフェアなものは、人間の世界ではファウルである。つまり、人間と魔女とでは価値観が逆だという合唱をする。(150頁)

 主人公のマクベスは、国王ダンカンの信頼厚く、「高潔なマクベス」とまで称えられ、武勲により新たな領地も得るのですが、その王を弑逆し、王座を簒奪し、しかし、結局はそのことによって破滅につき進んでいきます。信頼と裏切り、忠誠と暗殺――そういう不穏なドラマを観客に対して予告する(物語において予言する)台詞だろうと思います。

 この台詞の訳で有名なものが「きれいは汚い、汚いはきれい」というものです。シンプルかつ印象的なフレーズです。しかし、木下訳では「輝く光は深い闇よ、深い闇は輝く光よ」と訳されています。

 もちろん、これには訳者の意図があるのです。

 

▶こんなにフェアでファウルな日

 冒頭、3人の魔女のシーンの少しあと、マクベスが最初に登場するときに、彼はこう言いながら現れます。

 

 “So foul and fair a day I have not seen.”

(こんなにフェアでファウルな日は初めてだ。)

 

 どこかで聞いたような台詞だな、と何となく観客が思う。それがシェイクスピアの仕掛けだと、木下は述べています。この時点で、マクベスはまだ3人の魔女に会っていないのですが、それなのに、魔女が唱えた言葉と同じ言葉を使っている。はっきり印象づけるほどではないが、マクベスが何となく、魔女の世界と関係をもつ。フェアがファウルに、ファウルがフェアに――。

……ぼくは最初、魔女の例の「フェア・イズ・ファウル……」を、「明るいものは暗くて、暗いものは明るい」と訳したのです。マクベスが出てきたときに、「こんな明るい、そして暗い日は初めてだ」、暗雲ただならざる日は初めてだ、というのと照応させたわけですけれど、もう一つはっきりさせるために、この訳では、魔女のは、「輝く光は深い闇よ、深い闇は輝く光よ」と強く訳したのです。そしてマクベスが最初に出てくるところは、「闇になったかと思うと輝く光がさしそめる。初めてだぞおれは、こういう日は。」と訳してみました。……

 ここは別々の両者が同じ言葉を使っているということが大事なのです。(150-151頁)

 さすがに劇作家っぽい言葉選びです。 

 

▶魔女とマクベス、フェアとファウル

 3人の魔女が唱える “Fair is foul, and foul is fair.”――ここでのフェアとファウルは、価値観や物事の性質をあらわすものでしょう。個人的には、良い手段、悪い手段、良い結果、悪い結果、そういうものがこじれていくようなイメージです。

 対して、マクベスが最初に発する “So foul and fair a day I have not seen.”――これは、天気のこと、ひいては気分のことだろうと思います。移り変わりやすい変な天気だから、なんか胸騒ぎがする、そんな心情。

 それぞれを訳すのは、比較的簡単かもしれませんが、しかし、これを呼応するように訳すとなると難しい。英語では「フェア」と「ファウル」でつながっているけれども、日本語ではどう表現すればよいものか。

 うーん。「良いは悪い、悪いは良い」「悪いんだか、いいんだか、こんな日はかつてない」とか。さまになりません。翻訳者というのは、外国語のプロであると同時に、日本語のプロでもあるのだなと、しみじみ思いました。

 

(了)