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虫に鳥にも

読んだもの、見聞きしたものの記録に。

加賀乙彦『死刑囚の記録』 その1 妄想の培養器

死刑(読書記録) 精神・心理学(読書記録)

死刑囚の記録 (中公新書 (565))

 

加賀乙彦『死刑囚の記録』(中公新書、1980年)

 

 高校生の頃、市民図書館の閉架から加賀乙彦『帰らざる夏』(1973年)を掘り起こし、一晩中、どきどきしながら読みふけったのを思い出します。

 著者である加賀乙彦氏は、陸軍幼年学校に進学するも、在学中に終戦を迎えたため軍人の道を断念し、その後、東京大学医学部を卒業(1953年)。精神医であり、作家でもありますが、本書は、精神医として東京拘置所に勤務していたころ(1955‐1957年)の記録を中心に、死刑・無期の判決を受ける(あるいは受けた)受刑者の特異な精神状態について執筆したものです。

 

(1)妄  想

 

▶大石光雄との出会い

 大学卒業後、都立松沢病院に勤務していた著者は、そこで、東京拘置所から精神異常者として送られてきた大石光雄という男に出会います。

 大石は……自分の犯した強盗殺人が死刑に値する重罪であることに気付き、架空の犯人を必死で考え出した。……ところが、公判廷においては、その程度の嘘は具体的な証言や尋問で覆されてしまう。虚言の無力に動転した大石はついにガンゼル症状群をともなうヒステリー反応に逃げこんだ。……大石は、最初自分の作りだした嘘を、いつのまにか本当にあったことと信じてしまっている、つまり精神医学でいう妄想をいだくようになったというのが、私がえた結論である。(9頁)

 大石との出会いから、著者は、刑務所内でおこる拘禁ノイローゼについて興味をもち、東京拘置所に赴任することとなるのです。

 

▶ゼロ番囚

 ……私が診察する患者のなかにゼロ番囚が多い事実に気がついてきた。ゼロ番囚とは東京拘置所の習慣で、収容番号の末尾がゼロの囚人である。彼らは大体が強盗殺人とか強姦殺人とか、“強”のつく殺人犯で、死刑か無期の判決をうける、あるいはうけた重罪犯であった。(21‐22頁)

 本書では「ゼロ番囚」という表現がよく出てきます。上で引用したように、死刑か無期を受ける重罪犯のことです。ゼロ番囚の中には、一審や二審で死刑の判決を受けた被告の立場と、死刑確定者とがいることになります。

 著者は多くのゼロ番囚を診察するうちに、「ゼロ番被告と死刑確定者とは、その所内の行動や反応において、本質的な差はない事実がわかってきた」(33頁)としています。しかし、本書の第7章において、著者が「ゼロ番被告」「死刑確定者」「無期受刑者」の比較を目的として実施した総合調査について書かれていますから、これについては後ほど触れようと思います。

 

▶独居房

 死刑囚においては、無罪を主張することが、死よりまぬがれる唯一の方法であり、この点彼らが、日頃の願望として、もし無罪であればと念じていることは確かである。その願望の上に、無罪妄想から完全な虚言まで、さまざまな主張がおこなわれると見られる。

 この場合、ゼロ番囚や死刑確定者が、おしなべて独居房に拘禁されていることに注目したい。他人より隔離され、毎日一人で壁と鉄格子を眺めて暮すうちに、個人の思惟は同じところをぐるぐると回り、一つの方向への思いが肥大してくるのである。一般の囚人でも拘禁反応をおこす者は独居房に多いので、独居房は妄想の培養器といえる。(50頁)

 独居房の広さは1.5×2.5m、二畳+戸棚と洗面台とトイレ、という形式です。鉄の扉、窓には鉄格子、冷暖房なし。その閉塞感を想像してみると、この「培養器」という表現が実にしっくりときます。独居房の間取りは、現在でも似たようなもののようです。

 日課や食事、入浴、運動など、在監者の生活については、1908(明治41)年施行の「監獄法」および「監獄法施行規則」に規定されていました。著者が東京拘置所に赴任したのが1955(昭和30)年ですから、当時からみても古い法律であったようです。(とはいえ、刑法も同年に施行されて百余年、一部改正と口語化を経たものの、大部分はそのままです。)

 監獄法は2007(平成19)年に廃止され、代わりに「刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律」が2006(平成18)年に施行されました。

 

 ⇒その2に続きます。