虫に鳥にも

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鈴木哲也・高瀬桃子『学術書を書く』 その1 出版しても救われない時代

 

学術書を書く

学術書を書く

 

 

 

▶可読性を上げるためにどのような記述を心がけるべきか。書き出し、見出し、コラム、註、索引の留意点から図表や扉の魅力、さらには入稿と校正の際の作法まで、学術書を書くにあたっての実践的な内容がわかりやすくまとまっています。

 私も仕事上、学術書の原稿に目を通すことが多いのですが、「ほんまそれ」と同意しながら読みました。執筆者がここに書かれていることに気を配れば、出版する側としても、入稿から刊行まで実にスムーズに進むでしょう。

 

▶とはいえ、この本自体まだ刊行されたばかりなので、そういった実践的・技術的な内容をまとめてしまうのは、小説や映画のネタバレをするようなもの。営業妨害になりかねません。

 ここでは、大学出版の編集社である著者がこのような本を出した背景にある学術研究界の事情や、そのようななかで学術書がどうあるべきか、学術書の読者とは誰か、といったことにフォーカスしようと思います。

 

(1)背  景

 

▶日本における書籍刊行点数はこの四半世紀で大きく増加し、大学出版部協会の学術書の刊行点数も増加しています。しかしながら、出版不況がささやかれて久しい今日、その刊行点数に比して、書籍の売上総額が同じように増加しているわけではありません。

 多くの学術書が刊行されてはいるが、売れてはいない。裏を返せば、売れないけれどもたくさん刊行されている、ということです。考えてみれば不思議です。なぜ売れもしないのにどんどん出版されるのか。

 

▶著者は、この四半世紀の動向について、研究者の間で「Publish or Perish (出版か死か)」という語のもつニュアンスが少しずつ変化して、 「Publish and Perish(出版しても救われない)」という問題を引き起こしている、というふうに表現しています。

 

 「出版(発表)か死か」と訳されてきたこの語が、アカデミックな場で使われるようになったのは、かなり以前のことのようですが、成果発表をしない研究者への批判、叱咤として長く使われてきたことは、間違いないでしょう。

 ……ある時期を境に、成果発表ができないとポストや研究費が得られない、という焦燥感や苛立ちを伴って、すでに立派な研究者となった人の口から語られるようになり、さらには、研究者個人の問題としてだけでなく、研究機関の問題として、つまり、学術成果を公開できない大学や機関は生き残れない、という文脈でも語られるようになりました。……筆者の感覚では、1990年代初めの大学設置基準の大綱化以降の一連の大学改革、特に自己点検・評価システムの導入と大学院重点化、さらに国公立大学・研究機関の法人化を境に、こうした傾向が強くなったように思います。学術研究の世界に、競争原理が制度として導入された時期、といってよいでしょう。(2頁)

 

 ……読んでもらって初めて評価される学術コミュニケーションの世界で、そもそも読まれなければ、その「Publish」はほとんど価値を持ちません。……いわば「Publish and Perish」の時代がやってきた。それでも研究者として評価されるためには、「Publish」の営みを続けなければならない。とすれば、「Publish」そのもののあり方を根本から見直して、真に意味のある出版をしようではないか。(11頁)

 

 大学改革の功罪についてはさまざまに議論されていますが、現在も大学は改革の大きな流れのなかにいることには違いありません。制度の良し悪しは置いておいて、このような状況のなかで意味のある出版を考える、というところから、本書における著者の試みは出発しています。

 

 

⇒その2に続きます。