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虫に鳥にも

読んだもの、見聞きしたものの記録に。

釘原直樹『スケープゴーティング』 その2 いけにえはヤギかヒツジか問題

社会学(読書記録)

 

(2)いけにえの……ヤギ?

 

▶ところで、話は大きく脱線しますが、ちょっとここで確認しておきたい点があります。じつは私、この本のタイトルと表紙のヤギをみて、困惑してしまったのです。

 スケープゴート(scapegoat)というくらいだから、いけにえは当然ながら「ヤギ」ですよね。ゴートですからね。それはわかっているのですが、しかし、どういうわけか「あれ、いけにえってヤギだっけ? ヒツジじゃなかったっけ?」と戸惑ってしまったのです。

 なんと私の知り合いも同じ勘違いをしていたので、ほかにも同じような方がいるかもしれません。そこで、この「いけにえはヤギかヒツジか問題」について少し考えてみようと思います(注:本書の内容とはまったく関係ありません)。

 

▷過越祭ではヒツジ

 (1)で参照した旧約聖書ですが、『レビ記』の前に『出エジプト記』というものがあります。そこでは、エジプトにもたらされる災いを避けるため、イスラエル人に対して「家族ごとに一匹子羊を用意」し、「皆で夕暮れにそれを屠り」、その血を「家の入り口の二本の柱と鴨居に塗」り、「その夜、肉を火で焼いて食べる」ようヤハウェが命じています(『出エジプト記』12.3,12.6-8)

 この過越祭のヒツジと、『レビ記』における贖罪のヤギとが混同されやすい可能性があります。

 私の場合はこれにあたると思います。『死海のほとり』という小説がとても好きなのですが、そこに過越祭の様子を描いた箇所があるので以下に抜粋してみます遠藤周作死海のほとり』新潮文庫

 

「祭の日数は十二日だったか」

 と彼はふりかえって部下にたずねた。するとスルピチウスは眼をつぶって首をふった。

「十三日です。今夜から彼等は種なしパンを食べ、羊を殺しはじめます」

 生贄の羊が殺される声をピラトは思いだし、早くこの祭が終ってくれればいいと考えた。城の内外にながれるおびただしい羊の血の色とその臭いは、いつも胃の弱い彼に吐き気を催させ、何か嫌な予感を起させる。(182頁)

 

 突然、官邸の外で叫び声があがり、それを合図のように、町のあちこちで人間の残酷な声と滅入るような羊の鳴き声とが交互に聞えはじめた。今夜から明日の午後にかけてユダヤ人たちは羊を屠り、その血を神殿の祭司に渡し、その肉を神殿の庭につみ重ねるのである。(192頁)

 

 これはローマ人(しかも胃弱)から見たユダヤ人の儀式なので、禍々しいものを感じ取らざるをえない表現になっています。私にとってはこのイメージがとても強かったので、いけにえといえばヒツジ、という感覚が作られていたのかもしれません。

 

イエス・キリストは子ヒツジ

 私たちにとって聖書は身近なものではありませんが、イエスが人びとの罪を代わりに背負い、ゴルゴダの丘で磔にされ、それによって罪が贖われた、というストーリーはよく知られています。

 新約聖書には以下のような記述があります。

 

 その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の子羊だ」(新約聖書ヨハネによる福音書』1.29)

 

 旧約聖書の『レビ記』において2匹のヤギが負った役割を、新約聖書ではイエス=神の子羊(the Lamb of God)が担っているといえます。ゴルゴダの丘でいけにえとなったのは、ヤギではなくヒツジなのです。

 おなじく『ヨハネによる福音書』のなかで、イエスは以下のようなことを言っています。

 

 わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。(同10.7,10.14-15)

 

 つまり、神とイエスの関係においてイエスは子ヒツジであり、それとは別に、イエスと人びととの関係においては、人びとがヒツジであることもわかります。日本語、日本人の感覚ではどちらも一緒くたにしてしまいそうですが、子ヒツジ(lamb)にはいけにえの表象、ヒツジ(sheep)には群れをなして導かれるものの表象があると思われます。

 

▶聖書を参照すると、「いけにえはヤギ」「いけにえはヒツジ」のどちらも本当であるといえます。

 私や私の知人のような、聖書を読まない文化の人間に「いけにはヤギかヒツジか」の混乱が起こるのは、「言葉」と「イメージ」の認知のずれによるのかもしれません。スケープゴートという「言葉」は聞き覚えがあっても、その故事である贖罪の儀式の知名度はほとんどなく、それに対して、たとえば「迷える子羊」というフレーズのように、キリスト教にヒツジの「イメージ」を思い浮かべることは簡単です。強い言葉と強いイメージが重なり、しかもそのずれを改めて検討する機会もないために、「スケープゴーティング=いけにえのヒツジ」という、ぼんやりとした認識ができあがる、というふうに考えられるのではないでしょうか。

 

▶念のために、本書におけるいけにえは「ヤギ」であるという点は押さえておく必要があります。(1)の定義でみたように、「スケープゴーティング」「スケープゴート」にはネガティブな事象における不当な非難の要素があります。ここは、どうあっても、2匹のヤギのうちの一匹、人びとの罪を負わされ荒野に放逐された「ヤギ」でなければならないのです。

 

 

 

⇒その3に続きます。

 

*余談ですが『羊たちの沈黙』はご存知でしょうか。原題は『The Silence of the Lambs』なので、厳密には子ヒツジたちの沈黙です。この子羊はヒロインのトラウマを表すものですが、いけにえ(殺人事件の被害者)の含意もあるのかもしれません。