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虫に鳥にも

読んだもの、見聞きしたものの記録に。

斎藤茂吉『万葉秀歌 下巻』(岩波書店):老若男女、恋の歌(1)

 

万葉秀歌〈下巻〉 (岩波新書)

 

▶上巻では、感情と自然とがとけあったおおらかな言葉の響きに魅了されましたが、下巻では恋の歌が印象的でした。ここでも幾つか、心に残ったものを書きとどめておきます。

 

垂乳根の母に障らばいたづらに汝も吾も事成るべしや   作者不詳

 (たらちねの ははにさわらば いたづらに いましもわれも ことなるべしや)

 

一首の意は、母に遠慮して気兼ねしてぐずぐずしているなら、お前も私もこの恋を遂げることが出来んではないかというので、男が女を促す趣の歌である。(64頁)

 

 母親を気にして踏み切れない女性の態度と、じれったく思う男性の心情がまざまざと思い浮かんで、ちょっと面白いものがあります。「事成るべしや」の強さがいかにも切実。男性の訴えはもっともでしょうが、このように迫られたら、女性としてはいっそう頑なになりそうです。

 

◆念はぬに到らば妹が歓しみと笑まむ眉引おもほゆるかも   作者不詳

 (おもわぬに いたらばいもが うれしみと えまんまゆびき おもおゆるかも)

 

一首の意。突然に女のところに行ったら、嬉しいと云ってにこにこする様子が想像せられて云いようなく楽しい(67頁)

 

 このような一対の男女がいるというだけでも微笑ましいような歌です。羨ましい……。「笑まむ眉引」という表現が目を引きます。当時の女性は、一般に顔を隠すものですが、恋人の前でも扇子や袂などで隠したのでしょうか。男性が、女性の眉の動きを観察して表情を読み取っていた、ということが、この表現からうかがえるように思えます。

 

◆偽も似つきてぞする何時よりか見ぬ人恋ふに人の死せし   作者不詳

 (いつわりも につきてぞする いつよりか みぬひとこうに ひとのしにせし)

 

一首の意。嘘をおっしゃるのも、いい加減になさいまし、まだ一度もお逢いしたことがないのに、こがれ死するなどとおっしゃる筈はないでしょう。何時の世の中にまだ見ぬ恋に死んだ人が居りますか(70頁)

 

 ちょっと語気の荒い調子が、男女の血の通った遣り取りを想像させてくれます。時代を越えて親しみを覚える、小気味の良い歌だと思います。歌や手紙のやりとりが、すなわち恋の駆け引きであったのだから、男性も大袈裟に「恋しくて死にそう」とか書き連ねたでしょうし、女性も「また調子いいこと書いてるわー」とうんざりしたことでしょう。この一首、あるいは、「飾りたてた言葉の応酬などやめて、お逢いましょう」と女性が男性に迫るようにも読みとれないでしょうか。

 

◆あぢき無く何の枉言いま更に小童言する老人にして   作者不詳

 (あじきなく なにのたわこと いまさらに わらわごとする おいびとにして)

 

一首は、何という愚な戯痴(たわけ)たことを俺は云ったものか、この老人が年甲斐もなく、今更子供等のような真似をして、というので、それでも、あの女が恋しくて耐えられないという意があるのである。(73頁)

 

 老人といっても、当時の寿命は今よりは短かったのではないでしょうか。四十、五十あたりだとすると、この詠み手は四十歳かもしれません。しかし、今でいうところの六十、七十歳ほどの扱いを受けるような齢、ということにはなります。年甲斐もない己を恥じつつ、それでも恋からは逃れられないでいる。

 

◆ひさかたの天つみ空に照れる日の失せなむ日こそ吾が恋止まめ   作者不詳

 (ひさかたの あまつみそらに てれるひの うせなんひこそ わがこいやまめ)

 

この恋はいつまでも変らぬ、空の太陽が無くなってしまうならば知らぬこと、というのであるが、恋に苦しんでいるために、自然自省的なような気持で、こういう云い方をしているのである。(95頁)

 

 この男も恋から逃れられず苦しんでいる、さらには、著者の意見を汲むならば、変わらぬ想いを自分に言い聞かせている、ということになるでしょうか。ここの著者の解説は正直よくわからなかったのですが、私はそのように解釈しました。苦しい恋から逃れようとするのではなく、苦しいと知ってなお自ら飛び込んでいく勢いがあり、若い印象を受ける歌です。

 

 

 ⇒(2)に続きます