虫に鳥にも

読んだもの、見聞きしたものの記録に。

斎藤茂吉『万葉秀歌 上巻』(岩波書店):自然、感情、言葉の一体感(2)

 

▶引き続き、私の好きな歌について書いていきます。

 

◆世間を憂しと恥しと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば   山上憶良

(よのなかを うしとやさしと おもえども とびたちかねつ とりにしあらねば)

 

この反歌一首の意は、こう吾々は貧乏で世間が辛いの恥かしいのと云ったところで、所詮吾々は人間の赤裸々で、鳥ではないのだからして、何処ぞへ飛び去るわけにも行くまい、というのである。(185頁)

 

 『貧窮問答歌』の一首。憶良は筑前国守でしたから、実際に貧窮したかどうかは疑問ですが……どうなんでしょうね。とはいえ、この一首が嘘くさいわけではなく、むしろ身につまされるものがあります。憶良の歌は言葉選びが明晰・簡潔でわかりやすく、かといって味気ない感じにもならず、舌に馴染むような印象です。有名な「銀も金も玉もなにせむにまされる宝子に如かめやも」なども、こう、舌触りの良さがすごいですよね。とりわけ「こにしかめやも」あたりは口が喜ぶ感さえあります。デオキシリボ核酸的な。

 

◆若の浦に潮満ち来れば潟を無み葦辺をさして鶴鳴き渡る   山部赤人

(わかのうらに しおみちくれば かたをなみ あしべをさして たづなきわたる)

 

一首の意は、若の浦にだんだん潮が満ちて来て、干潟が無くなるから、干潟に集まっていた沢山の鶴が、葦の生えて居る陸の方に飛んで行く、というのである。(193頁)

 

 私の推しメン、推し歌です。目に浮かぶ景色の鮮明さ、音の流れの快さ、一首の清らかさ。……感じませんか、マイナスイオン。癒されます。

 この一首は、ただ写真のような風景描写ではなく、時間の流れを感じるもので、いわば動画として目に浮かんでくるのがすごいところです。まるで小さい頃にみていたNHKの動物番組『生きもの地球紀行』のエンディングのよう(ご存知でしょうか)。この広い視野は、人間の視点そのままではなく、空に思いをはせて自然と一体に溶けあった視点、ではないでしょうか。壮大で、そして、しみじみとしています。もしかしたら鳥への憧れ、羨望のようなものもあるのかもしれません。

 

斎藤茂吉の『万葉秀歌』は、軽く読むには説明過多な部分もありますが、本人も感じたままに味わうべしと言っていますから、難しく読むことはないと思います。

 万葉集はその評価において「おおらか」という表現がよく使われます。実際に接してみればまさにその通りで、自然に相対する眼差しや、和歌への態度、そして歌集に天皇から遊行女(うかれめ。遊女のこと。万葉集の歌から察するに、国守などの赴任先での現地妻みたいなものだったのでしょうか。国守が都に戻る際の別れの歌があります)までをまとめる心意気、たしかにおおらかです。それでいて格調が失われないのは、当時の人々にとって和歌というものが、それだけ表現手段として当たり前であった、ということではないでしょうか。

 技巧を凝らし景色にかこつけて自分の感情を詠むのではなく、胸に秘めた感情が目の前の情景をそう見せた――そういう、おのずと湧き出てくる、自然な言葉の発露を感じます。

 

 

 

 ⇒下巻へ続きます