虫に鳥にも

読んだもの、見聞きしたものの記録に。

ピーター・ラビット展に行ってきた

     ピーターラビットのおはなし (ピーターラビットの絵本 1)

 

 グランフロント大阪で開催中のピーター・ラビット展に行ってきました。思ったよりも展示数が多くて充実しています。グッズも豊富でピーターに貢いでしまった…。開催情報は公式HPへ(ビアトリクス・ポター™生誕150周年 ピーターラビット™展)。このHPを見るだけでもかわいいです。

 

▼「ピーター・ラビットのおはなし」

 シリーズの絵本で、3冊1セットになっているものが3つ、つまり9冊ぐらい実家にあったと思うのですが、最初のピーターのお話が子どもの頃の私にはやけに怖くて、実はろくに読んだことがありません(畑の野菜を食べたピーターを、畑の持ち主のおっさんが追いかけるというストーリー。捕まったらお父さんのようにパイにされちゃうかもしれないので、かなりハラハラする)

  あれって、登場人物(動物)も結構多くて、それも小さい私にはハードルでした。だって、しょっぱなから「フロプシー」「モプシー」「カトンテール」「ピーター」という4匹の名前が出てくるんですから…。

 

▼ピーターのかわいさ

 あのかわいさって、妙にデフォルメされていない、リアルな質感の動物が、服を着て生活を営んでいるというところにあるんじゃないかなと思います。

 ピーターの絵本といえば、今まで彩色されたものしか見たことがなかったのですが、この展覧会では白黒の線画をたくさん見ることができました。線画のほうが際立つ、すごい画力です。

 もともとは作者であるビアトリクス・ポターが、知人の少年に手紙で描いた物語で、それをもとに私家版(自費出版)の絵本を出版しました。このときは線画のみです。のちに、これに彩色したものが刊行されました。

 公式サイトの「見どころ」のページ(見どころ | ビアトリクス・ポター™生誕150周年 ピーターラビット™展)では、線画と水彩画の画像を見ることができます。水彩画もきれいですが、線画では、少ない線で動物の質感を捉え、背景もしっかり描写されているのがわかります。めっちゃデッサンうまいんだろうなって感じです。

 

ビアトリクス・ポター

 今まで作家の名前を認識したこともなかったのですが、彼女自身の人生も興味深いものでした。なんといっても多才な女性ですね。作家としてだけでなく、関連商品を商標登録したり、農場を経営したり、羊のブリーダーとして評価されたり。かなり知的な、かつ挑戦を恐れない、優秀な実業家だったのではないかと思います。このあたりのことも展覧会では焦点をあてられています。

 

 

デイミアン・チャゼル監督『ラ・ラ・ランド』(2016)感想

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▼主演男優

 ライアン・コズリングといえば、私の中では『ドライブ』(2011年)だ。すごくカッコイイって雑誌に書いてあったので、DVDを借りて観たことがある。率直にいって面白くはなかったけれど、やけに強烈な印象に残る作品で、ライアン・コズリング演じるドライバーの、こいつヤバいなって感じとか、彼の着ている背中にサソリの刺繍が入ったクッソダサいジャケットとか、エレベーターの中のヒロインとのキスと、男の顔を踏み潰すシーンとか、ところどころ、忘れられないでいる。

 ライアン・コズリングは、たぶんイケメンって感じではないけれど、知的にも見え、紳士にも見えて、反面、なんだか頭が弱そうにも、優柔不断そうにも見える。それが全部あわさって、なんとなくヤバい人なのでは?っていう雰囲気がある。つまりサイコパスのような(単にこれは『ドライブ』の印象が強いだけかもしれない)。『ラ・ラ・ランド』でも、どこかそういう感じはある。優し気なまなざしと、何を考えているのか分からない表情には、狂気みたいなものがうっすら漂うのに、どうあがいても情けなさそうに見えるのが、なんだか不思議な味わい。映画の前半は相変わらずのクッソダサい格好で、そのせいで時代設定がいまいち分からなかった。

 

▼主演女優

  エマ・ストーンの何が際立つかというと、白い肌だった。衣裳も色鮮やかで、背中が大きくあいたものが多く、肌との対比を強調したものだった。さらにいえば、周囲の女性の配役も、つまり肌の色合いも、エマ・ストーンが一番輝くように選ばれていたと思う。この映画は、映像の編集に頼らない、舞台のような演出方法をとっているので、スローモーションも、ストップモーションも人の動きで演じるし、照明を一人にあてて周りを暗くしたりする。そうした演出上、エマ・ストーンの肌の白さは、たとえ均等に照明があてられていても彼女にスポットライトがあたっているかのように画面に浮かび上がる。白い肌、鮮やかな衣装。どこにいても彼女がヒロインだ、という感じがする。

 

▼その他

 歌とダンスの割合は、そんなに多くない気がする。ミュージカルとしてはオープニングが一番の盛り上がりかも。主演ふたりは、とても美しい声だけれども、舞台で歌うような声の太さがあるようでもないし、踊っているときも真剣そのものって感じだったから。それでも観たあとに踊りたくなるのは(この感想は世界中で何百万回と言われているだろうけど)、2人の男女の心躍るような恋があるからかもしれない。

 個人的に好きなシーンは、セブ(ライアン)がミア(エマ)の実家に押し掛けたとき、「なぜここが?」と聞くミアに対して「図書館の前だ」と答えたところ。2人の関係がいったん壊れたタイミングで、まだ2人の恋が始まるかどうかの頃のミアの話(家の前に図書館がある)をセブが覚えていたと分かるシーンだ。とても粋な演出だと思う。

 ミアがプリウスを走らせて実家に戻るシーンなんかも、プリウスのコマーシャルみたいで美しかった。

 

「地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子」#1 感想

#1

 

 やっぱり自分の仕事にも通ずるところのあるドラマなので観てみました。私の仕事のやり方は担当している編集者に合わせたものなので、他の出版社ではどういうふうにしているのか、気になるんですよね。まあ、ドラマなので、ドラマだなって感じでしたが。

 なんといっても石原さとみが、ちょ~可愛かったです。メイク濃いけど可愛い。腹の立つキャラクターだけど可愛い。

 もともと下馬評が、「突っ込みどころがたくさんあるけど、面白かった」というものなので、エンターテイメントとしての演出なのは重々承知の上で、無粋ながら自分の気になった突っ込みどころを書いておきます。なお原作は未読です。

 

1.あれだけの服飾品を買うお金はどこから…? 

 自分が非正規雇用でお金のない独り暮らしの人間だから、やっかみ気分で不思議に思いました。主人公の河野悦子 (石原さとみ)はおしゃれ番長で、彼女の衣装はこのドラマの見どころの一つ。めちゃくちゃ可愛くて、うっとりです。でも、彼女はファッション雑誌の編集者を夢見て、新卒からずっと憧れの景凡社の面接を受け続け、過去6回も不採用になるも、他の出版社の採用面接は受けていないとのこと(ドラマで採用されたのは7回目の面接。28歳ぐらい?)。つまり、大学卒業後5~6年間は別の仕事で生活費を稼いでいたと思われます。ただ、他の出版社の面接を受けない理由が「景凡社に受かったら困るから」なので、別の仕事といっても、正社員ではないでしょう。

 一方、彼女の身にまとう服はいずれも高そう。カイワレや大根の葉っぱを育てて食費を削ったところで、あれだけの服飾品をそろえるのは難しい気がします。受付の女性が「あのおしゃれな格好はいかにも編集者」みたいなことを示唆する台詞もありましたから、都会で働く女性の服装、少なくとも安いファッションではないですし、稼いだお金のほとんどをつぎ込む感じでは。

 ただ、彼女の愛する雑誌「Lassy」が、背伸びをしたい高校生向けなのか、働く20代の女性向けなのか、よく分からない…。

 

2.編プロに行けば? 

 毎年、景凡社の中途採用面接に挑戦してみるとしても、その一方で編集プロダクションで仕事してみたら良かったのにな、と思いました。

 河野は面接で雑誌への愛を語るわけですが、その中で、「Lassy」の売り上げが落ちているのは編プロやフリーの契約スタッフに任せているから、という主張が出てきます。そこまで分かっているならば、ファッション雑誌の編集を請け負っている編プロに入り、実績を作りながら、それをアピール材料として景凡社への転職を目指す、という道をとれば現実的だし、希望に近いし、やる気も出ようというものです。そうすれば、ファッション雑誌におけるデザインだとか、雑誌作りの工程だとか、校正・校閲についても知る機会があったでしょう。もちろん、企画そのものは景凡社でしかできないことですが、彼女自身、面接で「Lassy」について「アイテム、配色、レイアウト、コピーまで全て完璧」みたいに熱弁していましたから、仕事として魅力はあるように思います。

 彼女は一体、ファッション雑誌に対するあれだけの情熱を抱えて、面接日以外の5~6年間、何をしていたのか? そんなこと言い出したらドラマが成り立たないわけですが。

 

3.未経験者を校閲部に採用…だと…?

 この出版不況のさなか、校正・校閲といえば真っ先に人員整理され、それこそフリーの契約スタッフ頼りになりそうなものですが、未経験者を採用して教育する余裕があるのでしょうか。いや、もしかしたら、あれだけの大きな出版社で、文芸部も抱えているので、校閲には力を入れているのかもしれません。しかし、それにしても、漢字能力や日本語能力などの適性テストすらせずに校閲部に採用とは、なんてドラマみたいな話。

 

4.未経験者が初日に素読み?

 ゲラを読んで誤字・脱字・不審な個所のチェック等をすることを素読みといいます。ひととおり全体に目を通さないと気づかないこともありますから大事ですが、かなり集中力を要します。「校閲」ならば素読みは必要な仕事だと思いますが、まずは「校正」として、初校と再校をつき合せた赤字照合で、チェックの要所や校正記号を学びましょう。まあ、でも、実践と失敗が上達の近道なので、これに関しては案外よくあることかもしれません。

 

5.「完璧」という言葉

 河野は校閲部での仕事を認められようと、「完璧に仕事をやり遂げてみせる」というような台詞を何度が発します。おそらく、校正や校閲に携わる人間ならば、おいそれとは言わないであろう言葉です。仕事には期限があり、作業するのが人間である以上、「完璧」とは言い切れないからです。言葉は揺れ動くものですし、文字というのは、不思議と人の意識をすり抜けます。だからこそ意識して誤字・脱字・引っかかる場所を探すわけですが、どれほど目を凝らしても、どれほどゲラや自分自身を疑ってみても、すり抜けることがあります。

 もしかしたら、まだ校閲に不慣れで言葉や漢字や固有名詞を一つひとつチェックしなければならない河野だからこそ、完璧に近い仕事ができる、ということはあるかもしれません。あるいは、河野に「完璧」という台詞を言わせること自体に、彼女の校閲という仕事に対する経験や理解の浅さを表現する意図があるのかも。

 

6.初校と再校をひとりで担当する

 私の勤める零細出版社では、一つの企画に一人の校正者、みたいな担当制ですすめることがほとんどなので、初校と再校どころか、原稿整理から校了まで一人でやることがしょっちゅうです。おそらく、もっと小さい出版社では、編集者が一人でやるでしょう。でも、文芸のように普通に読んでしまいがちで、ゲラ段階での赤字も多そうな分野では、分けたほうが良さそう。

 ドラマの中では、河野が最後のほうのシーンで、本を開いて「立田橋」か「立日橋」か確認する場面があります。ということは、このときは初校と再校のみで、念校や白焼きは別の人が担当したのでしょうね。

 

7.残業して仕事ができるものなのか

 仕事に慣れない河野が、「人一倍時間が掛かるから」と言って、一人で残業をしているシーンがあります。ここで校閲部の部長である茸原渚音(岸谷五朗)が、「疲れるとミスが出る」と気遣います。それでも河野は仕事を続けるわけですが、別にこの台詞はただの気遣いではなくて、まさにその通りで、長時間仕事を続けても見逃しが多くなり、結局、二度手間です。基本的に、あんまり自分を過信してはいけない仕事です。

 すごく頭を使うので、ゲラをチェックしていると、びっくりするぐらいお腹が減ります。夕方になると低血糖で頭がぼんやり、身体がフラフラすることも珍しくありません。おやつなしでは無理。

 残業は、仕事の効率からしても、正確性からしても、おすすめしません。新聞社とか週刊誌ならともかく、文芸の、しかも単行本なら、急ぐ必要はまったくないのでは。残業代も発生するし。

 

8.著者と校閲者

 …が、直接接触することって、そんなにあるんでしょうか。間に編集者を挟みますし、私の場合、著者は私の存在すら知らないので、不思議な感じがしました。ドラマに出てくる景凡社はかなり大きな出版社のようですし、文芸の校閲ですから、そういうものなのかも。そのあたりはちょっと分かりません。

 でも、基本的に校閲の仕事というのは、明らかな誤字・脱字以外については「注意を促す」「お伺いをたてる」ことなので、最終的な決定は編集者と著者が下します。今回のドラマでは、小説中に出てくる「立田橋」という固有名詞について、実際には「立日橋」だがよいのか、という注意書きをしたものが、著者の意向で「立田橋」のママとなった件について、河野は納得がいかないと主張します。このシーンが一番、違和感があった部分なのですが、著者があえて「ママ」にしたものなのだから、なんらかの思惑や思い入れがあると察してしかるべきですし、小説の舞台が著者ゆかりの地ならば尚更です。ここで河野は、「この一部分だけがフィクションだとおかしい、校閲部の名が傷つく(ひいては自分の評価に関わる)」的なことを言うのですが、小説ならば意図的にそうすることもありうるし、読み手もファンならば、誤字かもしれないと思う人もいるし、なにか思い入れがあるのかも、と察する人もいる。それは読み手に委ねるしかないものですが、そこに作り手の意図や判断がある以上は、堂々としておくほかありません。

 ましてや実際に土地を回ったり(普通、そんなことはしないと思う。都会の会社員はあんな自由に社外に出ていいものなの? むしろ査定に響かない?)、著者の身内に連絡を取ろうと試みたりというのは、まさに「校閲ではなく人のプライバシーを踏みにじる行為」で、越権行為以上に、人としてマズイ、と思いました。よしんば著者の身内に連絡を取るにしても、それがどういう関係にある人物なのか(この場合、著者が奥さんと円満な関係なのかどうか)はゲラのチェック同様にしておくべきです。あれだけのこだわりを見せながら(そこを買われて校閲部に採用されながら)そこだけツメが甘く、「私、知らなくて」というのも、設定としてちょっと違和感がありました。

 

 他には、共感した部分もありました。

 

1.校閲の仕事の説明

 まず、河野が校閲部にやってきて、最初に校閲の仕事の説明を受けたとき。13年前のスーツを着ている女性校閲部員、藤岩りおん(江口のりこ)の説明は簡単なものでしたが、校閲が誤字・脱字チェックだけの仕事ではないことを説明する点では、端的で分かりやすかったと思います(ただ、非常に肩が凝る作業なので、スーツで仕事するかなあ。少なくともジャケットは邪魔だよね。白シャツもインクや鉛筆で汚れるし)。

 あれ以外には、文字の大きさとか、柱、目次、著者紹介もチェックします。小説なら、場合によっては場面ごとに番号が付いてることもあると思いますが(第1章とか、第1節とか、ただ「1」「2」だけとか)、そういう数字が飛んだりしてないかとかも要確認です。なぜなら、そういうのは著者もチェックしないから。

 それから、言葉の重複も多いです。ドラマでは「満天の星空」を「満天の星」というふうに指摘していましたが、単純に一文の中に「また」が2回出てくるというものもよく見かけます。別の文であっても、同じ接続詞が続いたときは、鉛筆で丸をつけて注意を促します。

 ドラマで「僕」「ぼく」「ボク」あるいは「午前」「a.m.」「二十四時間表記」という例があったように、表記の統一は大事な、そして大変な仕事です。バラツキがあれば読者は気が散ります。しかし、漢字かひらがなか、あるいはどの漢字を使うか、というのは著者のこだわりや微妙なニュアンスを含ませることもあるので、あまりこだわりすぎるのも文章が固くなります。こういう点からいっても、「完璧」と言い切るのは難しい仕事です。ただ、カタカナでよくあるケースとして、「中黒」や「音引き」を入れるか入れないかは、けっこうバラツキがあるので統一が必要です。たとえば「セクシュアルマイノリティー」と「セクシュアル・マイノリティ」のように。

 でも、一番多いのは、「てにをは」の修正と、漢字が同音異義語で変換されているケースかもしれません。

 

2.編集者は原稿のチェックを校閲に丸投げ

 これは、確かにあると思いますね。実は私も、もしかしたら編集者は全部に目を通してないんじゃないか?とよく思っています。私の存在を著者が知らない以上、著者からなにか怒られるのも(もちろん感謝されるのも)編集者なので、別にそれで文句はないのですが、「著者以外にこのゲラにすべて目を通しているのは私だけなんだ」と思うと、やっぱり怖いものがあります。学術系は、結局のところ、内容の責任は著者(研究者)にある(日本語の不自然さは指摘しても、学術的な主張内容には踏み込まない)ので、そこは文芸との違いがあるかもしれません。

 編集者は企画から打ち合わせ、装幀、販促など、幅広く忙しい業務なので、著者と校閲者の間に立つ役割としては、とりあえず「著者の意向を確かめる」「判断に迷ったときの方針を決める」仕事をしてくれれば、こちらとしては困らないかな、とも思います。

 

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