虫に鳥にも

読んだものと日々の記録。

うつくしい夢

 

 満開の桜で島影が色づき、晴れ渡った青い海にゆらめいている。背をむけた山にも色の濃い桜が満開で、頭上に枝を広げている。かすかに風にゆらめくが、花弁はひとつも落ちてこない。私はデジカメを構え、海と空と桜がフレームの中で最も美しくうつる位置を探している。

 

 と、いう夢をみた。夢占いで調べると「桜ははかなさの象徴。満開の桜は今がピークであることを表し、これから運気が落ちていくでしょう」的なことが書かれていたが、夢の中の桜はまったく散る様子がなかったので、悪い夢ではないと解釈した。そもそも私の現状は、夢でみた美しい情景に見合うほど調子よくはないし…。

 あれほど美しい景色が私の中にあるというだけでも気分がいい。仕事がなければ二度寝、三度寝して余韻に浸れたのに。

 

『ジョン・ウィック』(米2014年公開)感想

 

 3作目が日本でも今年の10月に公開されるというので、それに向けてDVDを借りてきた。

 

■犬がかわいい

 ふわっとした予備知識では「元殺し屋の男が、愛犬を殺され、復讐のため殺し屋に戻る」というストーリーで、実際、そのような展開ではあったが、主人公ジョン・ウィックキアヌ・リーブス)と犬とのふれあいは短く、あっという間に犬は退場してしまう。それでもこの犬は「病死した妻からの贈りもの」だったので、ジョンが復讐に燃えるインセンティブとしては十分だ。ジョンと犬の交流を親密にすればするほど観客にとっては苦しくなるので、むしろ愛犬家への配慮かもしれない。

 どうやらジョンは、23時頃には就寝して6時頃に起きるという規則正しい睡眠生活を送っているようだ。プライベートもくそもないようなガラス張りの寝室に、夜明けの青白い光が満ちるなか、子犬がジョンの顔にじゃれつき、ジョンが「起きるよ」と言いながら身を起こす。その背中にさらに子犬がじゃれつく。この朝の情景があまりに理想的でうらやましく、映画を観終わったあとにリピートしてしまった。

 

■どんどん死んでいく

 犬1匹を殺した対価として、本来なら実行犯である3人をジョンが仕留めれば気が済む話ではあったが、実行犯の主犯格は、地域の有力者(ロシアン・マフィアのボス)であるヴィゴの息子であった。ヴィゴはジョンに狙われることになった息子を守るために、組織の全人員を投入する。結果的にジョンはすべてを返り討ちにし、本懐も遂げ、組織を壊滅させることになる。ヴィゴが雇った殺し屋を含め、登場人物がどんどん死んでいくので、かえって命の重さや人間ドラマをあまり気にすることなく見ることができる。話はシリアスだが、何も考えなくていいタイプの映画といえる。

 

■引っ越したほうがよい

 ジョンが住む地域は、闇社会の勢力がある種の秩序を成しており、犯罪者や組織(殺し屋、掃除屋、マフィア、ホテルなど)が闇通貨と思われる金色のコインで取引し、「コンチネンタル・ホテルでは仕事(殺し)をしてはいけない」というルール・制裁まである。ジョン・ウィックは凄腕の元殺し屋として地元でも有名人であり、闇社会の人々からかなりの畏怖と敬意をもたれている描写がある。それどころか、騒音の苦情を伝えにきた警官すら、ジョンの家に転がる死体を見ても「ああ、お仕事なんですね~」と理解を示す始末である。

 ジョンは妻との結婚を機に殺し屋を引退していたはずである。闇社会の経歴を持ちながら同じ地域にとどまり、いかにも侵入が容易そうな開放的な家で暮らしていた時点でツメが甘いといえる。

 

忘却と喪失

 

 大伯母はおそらく90代半ばくらいで、数年前に旦那さんが亡くなり、子どももいない。しばらくはそのまま1人暮らしをしていたが、認知症が進んだために生活能力もなく、いまはグループホームで暮らしている。子どものときにたびたび会いにいったので、私のことは名前を言えば思い出してくれるが、昔の記憶は思い出せても、新しい記憶は定着しない。今はどこに住んでいるかとか、大学生なのか、働いているのか、結婚はしたのか……。そういう話を何回も繰り返すことになる。

 グループホームでの暮らしも5年になり、はじめは暴言を吐くこともあったようだが、今では昔のように穏やかになった。長年住んでいた家のことは忘れてしまったのか、帰りたいだとか、家から何かを持ってきたいと言うこともない。亡くなった旦那さんの話さえ口にのぼらない。母はそれをさして「執着がない」と不思議がったが、私には諦めた姿のようにみえる。自発的なものではなく、心を守る最後の防衛としての仕組みとして。自力では家に帰ることも、買い物にいくこともできない、自分がどこにいるかもよくわかっていないような人の中に、長年ともにしてきた夫や家、家財道具への執着が残っていたら、どうして平静に生きていけるだろう。

 

 その大伯母がかつて暮らしていた家を、片づけることになった。大叔父が時々換気してくれていたとはいえ、5年ほど放置されていた家である。手袋、マスク、花粉用メガネ、使い捨ててもよい靴下、古いタオル、ごみ袋などを取りそろえて、かなりの心構えで訪ねたが、状態は予想を上回ってひどかった。しかし、そのひどさは、たった1点の問題に集約できた。つまり、同じものが大量にある。 

  調味料や鍋、食器、ティッシュ、洗剤、タオル、新品の下着、携帯用のソーイングセット、マッチなどは特に顕著だった。しかし、それ以外でも、あらゆるものが複数個あるように思えた。

 台所の流しに何十本もの醤油や酢を流しこみながら、何度かえずいた。テーブルに「ロイヤルゼリー」と書かれたサプリを積み上げ、3万5000円と書かれたその領収書の束をゴミ袋に投げ入れた。しまい込まれた鍋は一つ一つが白いビニール袋に包まれていて、それが一層手間を増やしたが、軽く引っ張れば破くことができた。

 物の置き場所に窮すると、物を捨てずに、棚のほうを増やしてきたようだ。棚の奥に棚があり、棚と棚の間に木の板を釘付けて棚にしている。からにした棚を庭に運び込んでは、解体していった。

 冷蔵庫の中はかろうじて片づけられていたが、かびた食パンや、水の入った鍋、ごみ袋が腐食して床にできた大きな染み、洗濯機に入ったままの衣類を見るにつけ、もしかして大伯母は拉致されたのだろうかと考えた。もちろんそんなことはなく、大伯母がグループホームに入った後も、後見人となった伯母が何度か来たはずだ。今回、この作業に参加していない伯母に対して、多少の恨み言をつぶやかずにはいられなかった。

 

 過剰な買い置きは認知症高齢者にはよくあることだと思うが、何十年もの生活のなかで買いためてきたものを、大伯母は二度と見ることも思い出すこともなく、こうして身内が片端から捨てていくというのは、90年以上の人生の行きつく先としてあまりに虚しい。この虚しい作業を5人で4、5日かけて続けたが、できることなら家ごと燃やしてしまいたかった。